現代短歌9月号「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」に自薦10首と小文が掲載されています。

 

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この「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」は、1990年以降に生まれた歌人を60人特集し、自選10首と小文を掲載する、という企画です。

この企画の序文と、企画に触れた編集後記について、さまざまな抗議の声が上がっています。

謹呈本を読むまでは何も言えないな、と思っていたのですが、ようやく本日届き、読みましたので、以下にわたしの見解と、わたしから三本木書院に対してご連絡した内容を記載します。

まずは、この件に関しては編集部の態度に問題があり、この号に掲載されている歌人や短歌に落ち度はなく、素敵な短歌も多いので、皆様には純粋におたのしみいただければと思っている、ということを先に述べておきます。

 

 

 

 

<ここから先はこの件について考えている歌人や短歌読者の方へ向けた、わたしの考えです>

 

問題点としては

・序文にアルチュール・ランボオ「大売出し」を大きく引用し「無検査のダイヤモンドの大売り出し」とされていること。

・この号の編集後記にて「このアンソロジーに自分がなぜ呼ばれなかったのか、不満顔の君のために理由を書こう」から始まる、60人に選ぶことができなかった人に対する非常に挑発的な文面が掲載されていること。

・序文、編集後記、企画にまつわる対談については原稿依頼時も、ゲラ確認時も、寄稿者には一切知らされていなかった。

という部分が主かと思います。

 

抗議をされている方の中ではこれを「炎上商法のよう」と呼んでいる方もいますが、わたしはあまりそうは思いません。

編集長の真野さんの性格上、このようなことを言われても、呆れはしますが(言いそうだな)というところもあると思いました。

ランボオの引用の序文も挑発的な編集後記も炎上と売り上げのためではなく「それがかっこいいと思って書いた」というだけにすぎなかったのでは、と思うのです。

それこそが本当に、根っこから反省していただきたい部分ではありますが……。

 

編集部の態度には怒りがありますが、わたしは

・60人に対して事実上原稿料を支払っていないにもかかわらず、原稿の管理や企画に対する説明が非常に粗末だったこと

に対して、抗議し、今後の改善を求めます。

 

原稿依頼はこのようなものでした。

***

自選10首+影響を受けた1首/200字エッセイ
小誌「現代短歌」9月号はAnthology of 55 Tanka Poets born after 1990を特集します。つきましては、下記ご寄稿いただければ幸いです。
1) 自選10首(既発表作可)
2) あなたがこれまでに最も影響を受けたと思う短歌作品を1首あげ、そのうたの魅力、出会った時の衝撃などを自由に200字以内でお書き下さい。
3) 巻末に「執筆者一覧」を設けますので、50-60字の略歴を添えて下さい。

原稿送付方法:書式の規定はありません。郵送、Fax、電子メールのいずれでも結構です
(電子メールをお使いの方は電子メールでお願い致します)ので、「現代短歌」編集部宛にお送り下さい。
稿料:掲載誌1部と小社刊行物をご購読の際にお使いいただけるチケット(3000円相当)をもって稿料に代えさせていただきます

***

この依頼を真野さんから受け、(1990年以降の歌人の特集にお招きいただいたんだな、原稿料は実質なしということだな。でも、皆さんが並ぶのであればありがたいことだし、参加するか。)と思いました。

その後、原稿執筆にあたり会社の決裁が必要なのでお返事に数日いただきたい旨、会社の決裁が取れたのでお引き受けする旨、ご連絡しましたが何の返信もありませんでした。

締切は6月4日だったのですが、ほかの原稿の都合もあり5月16日にすべての原稿をお送りしましたが、返事がありませんでした。

さすがに不安になり、6月22日に問い合わせたところ、真野さんではなく染野さんから拝受の旨お返事をいただきました。

ゲラの確認はありましたが、その際、序文の共有はありませんでした。

また、その号の中で大森静佳氏と薮内亮輔氏がこの60名の自選について対談をするという情報も、最後まで知らされませんでした。

もちろん任意のことと思いますが、他社(文芸誌、雑誌等)ではこのような場合、企画説明のページも、参考に送付いただけることが多いです。

せめてここでゲラとしてこの序文を見せていただけていれば、その時点で意見するなり企画から降りるなりできたのではと悔やまれます。

いずれ、原稿執筆のやり取りが非常にレスポンスが悪く、1カ月以上自分の原稿が受理されたか、そもそも本当に引き受けるということでよいのか不安でした。

非常に少人数で作っていることも知っているからこそ、原稿料が出せない状況も踏まえてなんとも心苦しい気持ちになりました。

 

原稿料なしでも「ありがたい」と言って引き受けることはあります。

ただ、そのぶん、コミュニケーションの部分で補って「載ってよかった」と思えるようにしていただきたかったというのが本音です。

編集部の余裕のなさが最終的にこのような序文と編集後記にもつながっているのではと感じ、とても深いところに根差した問題であるような気もしました。

 

 

上記のような思いの上で、今回の件はTwitterでの話題ではなく、あくまでいち企業への改善を求める対応をするのがよいとわたしは考えます。

三本木書院へは下記内容をメールしています。

 

 

お世話になっております。
献本、本日拝受いたしました。
改めてこの度はお世話になりました。

 

炎上商法である、というような声もあるようですが
わたしは真野さんはそのようなつもりはなく
単純に「それがかっこいいとおもったから書いた」のだと思いました。
そして、そのことは本当に恥ずかしく、情けないことだと思いました。
事実上原稿料なしで委託した60人に対しても、
編集部の力不足でお声掛けできなかった皆さんに対しても、非常に無礼な物言いであると感じました。
1990年代でなく、もっと上の世代の特集だとしても同じように言っただろうか、と思うと
年配のものとして若者を「出してやる」という態度を感じ、
勝手にその「手下」のようにまとめられたこと、不服に思います。
それを原稿料なしで言えることに、真野さんのなかで、なにか、外れてはいけないところを外しているのではないかと思いました。
ご依頼に対するお引き受けのお返事にも、
提出した原稿に対してもレスポンスが非常に遅く
他出版社とのやり取りと比べ、編集部として成り立っているのか危険をかんじました。
そのような態度を「無検査」と開き直っているように感じられて正直なところ、呆れました。
原稿料がないことも、原稿のやり取りが粗末であることも、
みなさん、ぐっと飲みこんで協力をしています。
そのことに対しての敬意が一切感じられず、
それどころかふんぞり返って「おまえらどうだ、これが選ばれた60人だ」
というのは、絶句してしまいました。
折角素晴らしい企画や歌が載っている雑誌が
このような物議を醸しだしていること、残念に思います。
まさかこのような序文が出ているとは知らされず、
今後のご依頼に関しても、
またこのような見せ方をされては参るというきもちが先行し
お引き受けできなくなってしまうことはさみしいです。
本当に悔しい気持ちと同時に、短歌の書き手として、
その魅力が伝わるための場として現代短歌社さんを応援したい思いもあり
こころがふたつにちぎれそうです。
真野様が今回の物議をどのように感じたかわかりませんが
・今月号の序文と編集後記について、さまざまな意見を受けてどのようにお感じになったか、何らかの形で見解を述べること
・企画意図とその最終的な見せ方について、今後細やかに共有をすること
・原稿の取り扱い、レスポンスについて、依頼相手を心配させないようなコミュニケーションをすること
を、求めます。

 

<追記> その後、真野さんからお返事をいただきました。

返信の詳細は掲載しませんが、当面の間、わたしは現代短歌社からのお仕事はお引き受けしないことにします。