パーマをかけている前髪が伸びてどれだけ濡らしても乾けば前方へぴょこぴょこしてしまうので、思い切ってシャワーを浴びながらはさみでざくざく切った。結構切ったのでやってしまったかと思ったが、パーマがかかっているおかげで短くても結構いい感じだ。よかった。きょうは夕方にまつ毛パーマをかけて、あたらしい口紅を買った。わたしはコーラルが似合う。結局。明日とてもうれしい予定があるからできるだけテンションが上がるようにしたかった。

新しい本が出る前はいつもこころに変な空洞があり自分の声がよく響くようになり卑屈になる。自分に余裕がないからこの人のことを信用できないのか、これはそういうの関係なく信用しないほうがよさそうな人なのか自分では判断がつかなくなる。ツイッターには「一緒に怒ってほしい」と言われているようなツイートばかりが流れてきて、Instagramはタグごとの最新投稿が検索できなくなってしまって、ゆっくりとSNSをきらいになるための時間を用意してもらっているような気分。それでもブルースカイもスレッズにも行くつもりがない。もう短いテキストで率いたくも率いられたくもない。思ったことはLINEで友人たちと直接おしゃべりするようになってきて、それがとてもちょうどいい。わたしがツイッターを大好きだったころ、二十代後半や三十代に突入した年上の友人たちがどんどん投稿しなくなっていったタイミングがあって、あれはがんばって投稿を減らしていたわけではなくて、心底投稿とそれに対する反応に興味がなくなったり、現実を動かすことだけで忙しかったのかもしれないなあと思う。

今度の新刊の日記本はたくさん取材をしてもらえて、日記について話す必要があるのだけれど、わたしは日記の何に救われていたのだっけ。ということを考えている。わたしにとってブログって、とてもちょうどいい大きさの会議室のようだった。床が布張りのほうがよりイメージに近いから、視聴覚室みたいなものかもしれない。地声でも声を張れば40人くらいに届く、みたいな、部屋。ふたりじゃ少ないけど、二万人じゃ多すぎるから、40人に読んでほしかった。とか言っといて、本になって売られちゃっていいのかしら本当に。

この頃は忙しい。忙しいですもんねと言われてそんなことないですと言っていたし本気でそう思っていたが、最近はもう「そうですね」と言っている。今年度、もう新しい仕事は受けられないと思う。受けてもいいけど、わたしを大事にしなくてもいいくらい大事な仕事かどうかちゃんと考えたい。いい仕事って半年前くらいから声をかけてくれるんだなと言うのが最近の学びで、あまり認めたくないけれど、やはり時間の余裕があるところはお金の余裕もあり、こころの余裕もあるのでとても丁寧できもちのよいお仕事が出来るものなんだなあと思う。

ところでみんな。やさしくできる余裕がすこしでもなくなったら、土曜日にビール飲んでちょっとでも仕事のこと考えて後ろめたくなるなら、それは忙しいって言うんだよ。自分よりとてもがんばっているひとを見ると、自分なんかが忙しいって言っちゃだめだな、もっとがんばらなきゃな、って思っちゃったりするけど、自分と全く同じ環境のひとはひとりもいないのだから、みんなオリジナル多忙。廊下に大の字で寝転んでじたばたして「もうやだ」って言っていい。休みかたはわたしだってよくわからないから上手く忙しい人を労うことはできないけど、「よく休んでね」と言われて「わかってるようるさいなあ」と言いたくなってしまうようなわたしに似た人は、思い立ってでっかい声で「有休!」って叫んで平日の昼間の全然昼休みじゃない時間にフルーツジュース飲みに百貨店の地下に行ったりしようね。

仕事がたのしいのに忙しくて、自分のこの先の人生のことがなんにもわかんなくて不安になるあなたも大丈夫。明けない夜だよ。ずーっとそうやって「わっかんねえなあ人生」と言いながらたまにお酒飲んできょうを明日にし続けるしかないみたいですどうやら。明けない夜はないとか止まない雨はないなんてだれからも対面で言われたことがないから、みんなもそうは思ってないんだと思う。夜は明けない。雨もやまない。朝は夜じゃない時間なだけ。晴れは雨じゃない時間なだけ。あーどうかこれをわたしの前向きな言葉だと思ってときめかないで。でも悲劇にうっとりしているわけでもなくて、常時やつれながら笑うっていうか、これはそういう種類のことです。考えすぎても仕方がないから手が届くちっちゃい小分けの未来と自分の人生だけに集中して一個ずつやって、時々胸張るしかないみたいだなあと思いながらひとりで仕事をして三年目になる。で、こういうブログを書くと心配してくれる人がいるんだけど、わたしはここ5年くらいずーっと同じくらい忙しくて大変で弱音を吐きたかったり強気なことを言いたかったりしてはいて、書いちゃうとかんたんに気持ちいいから書かないようにしていただけのことなのです。だからなんにも変わってないんだけど、昔のブログのこと思い出してどういうこと書いていたかしらと思うと、こういうことだったかもしれないなって思って、書いてみただけ。十代はず~っと人生の話をしていたけれど、あのときは本当の人生の長さのことを知らなかった。来週にいやな予定が入っているだけのことを「人生」と言っていた。すぐ「人生」って言わないように。木曜のことまで考えていたらじゅうぶん。

また書くよ。