<BLOG>パンと柚子
鎌倉へ行った。長野ヒデ子さんのアトリエに1年半ぶりに行くと、はまぐりの殻に大きな蜘蛛の死骸が置いてあり「きれいな蜘蛛」と言うととてもよろこんでくれた。アトリエで静かに亡骸になっていてあまりに綺麗なので飾ったとのこと。「脚一本も欠けてないのよ」「ほんと、老衰ですかねえ」「餌が足らなかったのかもわかんない」「大きいからたくさん食べそうですもんね」。飾られていた鬼柚子があまりに立派で褒め称えたら「庭のやつよ、柚子なんて買わないもん」とひとつ捥いでくれた。よいお土産だ。達磨のようで縁起がいい。玄関のところに落花生の殻にワイヤーを通したリースのようなものがかかってあり、それがみんな鳥に喰われて穴だらけになっている。「おしゃれな餌のあげ方ですね」と感心していると、「餌台にそのまま置くとすぐ食べられちゃってすぐいなくなるでしょ?このほうが長くここにいてくれるし、苦労してもらおうかなと思って」と笑うのできゅんとした。
その後ヒデ子さんと行った喫茶店で五十嵐大介さんに偶然居合わせ、盛岡の話などしてしまう。もっと話したいことがたくさんあったのにあわあわしてしまった。ヒデ子さんとはいつも、会ってすぐと別れるときにぎゅっとハグをする。ヒデ子さんの背筋はいつもまっすぐで、わたしの背筋まで太くなるかんじがする。
ささめやゆきさんに「はじめまして」と言ったら「文通してたからもう会ったようなきもちでいた」と笑ってくださってそれだけでもう鎌倉に来た甲斐があったと思った。
信じられないほど贅沢な1日で、帰りの新幹線の中で、とにかく「善く」ありたいという気持ちでいっぱいになった。たくさんの植物に囲まれた庭を持ち、花や芽を気にして、自分で作ったものを食べ、何度でも思い出して笑えるような無茶な遊びをして、自宅でお客さんをもてなす。ああ、わたしもそんなふうでありたいよ。圧倒的にキュートで、体力があって、やりたくないことに口を尖らせながら、作品がかっこいい。
新幹線を一本早めようとしたら普通席は売り切れていたので、腹に力を入れてグリーン車を取った。駅弁屋で黒ラベルとサラミを買ったものの、いま飲んだら具合が悪くなるかもしれないと思い結局ニューデイズで買ったキレートレモンとカリカリ梅を食べながらこれを書いている。どっしりと疲れた。本当に胸がいっぱいになっているとビールって飲めないのかもしれない。
鎌倉では4時間ほど電波がほとんど使い物にならずなんの検索もメッセージの送信もできなくなる時間があって、しかしその時間にした会話こそが結晶になるような、いさぎよい心地よさがあった。わたしは会話をしながらこんなにもスマートフォンを触ろうとしてしまうのかと大変反省した。インターネットがなくてもいい時代に作家や画家になった人たちの、その圧倒的な人柄のかっこよさにずいぶん参ってしまい、作品には結局人生が出るのだろうなどと大きなことを思った。
メールを開くと担当編集が短篇を概ね褒めてくれていて、このまま進められそうだ。ほっとすると、この一旦のお祝いときょう一日の労いにやはりビールを飲みたいような気がしてくる。だってあるし。ここに。黒ラベル。買っちゃってて。担当編集は昨日出したばかりのものを多忙の中でもう確認して丁寧なコメントを送ってくれる。うれしい。鎌倉に行く前にどうしてもきもちをすっきりさせておきたくて早朝からがんばって書いてよかった。ビールを飲むか悩みながらXを見ていたら、きょうに限ってなぜか創作をする人たちがアドバイスをしたがっていたり持論を展開しているポストばかり表示される。普段なら「へー」と眺められたはずなのになんだかぞっとする。他者に何かを教えようとすることはきもちがいい。聞かれたことに答えるのも、聞かれてないことに答えるのも、きもちがいい。わたしだってそのきもちよさにこれまでもいまも存分依存している上で、黙って書いてたくさん売れることがかっこいいといまのわたしは信じている、はずなのに、なにかいいたくなる。
「つくづくSNSには本当は誰もいない気がしてきた がんばっている人は現実に忙しい」
と投稿して、そんなこと思ってない。
「いや、ちがう 忙しすぎるほどぼーっとSNSしてないと調律できなくなるわたしのようながんばりやさんもたくさんいる いるけど、目の前の原稿やキャンバスに集中するときは大概Wi-Fi要らないんだよなと思った」
と慌てて引用ポストして、どちらもやはり誰かを味方に付けようと、率いようとした言葉であり、ひっくり返すと誰かを率いようとしている人からその群衆を奪い取ろうとしているのではないかと思い、黙って書けよと思ってんならおまえがまず黙りなさいよ、とポストを削除した。だせえな、と言いたくなるとき、自分がいちばんださい。
グリーン車の照明ってリッチめいて薄暗い。空気公団を聞きながら、盛岡が終点なのだから眠ろうと目を閉じるが、まだどきどきしている。きょういちにちにあった宝物のような時間を信じられないと思っている自分がいる。疲労はきっと後からもっとくる。新幹線のテーブルの上にパンと柚子がある。どちらもきょういただいたものだ。手作りのパンのなかにちらちらと光るにんじんの朱色と青い鬼柚子の内側から滲むような黄色を眺めながら、あー、自分と向き合っているだけでもこの人生に時間が足りないのに、どうしていつまでも褒められたいとかこの人には勝ちたいとか思ってしまうんだろう。自分に勝てない時だけ他者に勝とうとしてわたしって本当にどうしようもないと思う。どっちみちこの舟しかないのだから、自分の人生にもっと集中したい。もっと書きたい。書けるのってかっこいい。書き続けるのってかっこいい。ここまできたら追いつけないだろと思うくらいまで走ったつもりでも、まだまだまだまだ先がある。SNSに早く飽きたい。手書きの文字と対面の会話と信頼している編集者を大切にして、ここから先の多忙を暮らそう。
また書くよ。
2024.11.15
くどうれいん