発行日の翌日、啄木忌でもある4月13日に第一歌集『水中で口笛』が重版されました。

 

やー!

……や~!うれしい!

初版の部数をとても多めに刷っていただくと聞いた時は、たくさん売れ残ったらどうしようとばかり心配していたので驚いています。

それだけ期待を込めて書店の皆さんが販売し、期待を込めてご購入いただいているということですよね。本当にありがたいことです。ありがとうございます。

HPにも記載の通り、重版ではいくつか訂正をしております。

初版の表記は初出時のままの歌稿のため間違いだった、ということではないのですが、より多くの方に届くときに一番良いかたちとして直してもらうことにしました。

 

『水中で口笛』に寄せたことは、実はほとんどそのあとがきに書いてしまったのでぜひ読んでください。

わたしはどの本もあとがきが毎度長い。だから、あとがきが短いひとに心底あこがれています。淡々として、2、3行で終わるようなあとがきにしようと今回も意気込んだけれど、だめだった……。その分読みごたえがあり、きちんと出すまでの意気込みも説明できてよかったです。

どうして『水中で口笛』というタイトルなのか、とよく聞かれます。

 

この歌集には、16歳の時から26歳の時までの短歌がまんべんなく収録されています。いちばんメインで押し出したかったのは、やはり、大きな意味での「青春」の時期の歌でした。

 

「青春なんて最悪だ」と思いながら「他人に切り取られる前に、自分の青春は自分で書く!」と意気込んで、文芸部で毎日何かの作品を書き続けていた高校時代。そのまま不貞腐れていた大学一年の秋に東北大学短歌会と出会い「もしかしてこれが青春なのかもしれない」と思いながらとにかくたくさんの人と出会い、いろいろな場所へ行き、短歌を作っていた大学時代。わたしは、16歳から22歳まで、長い青春を生きていたような気がします。その日々は必ずしもあかるく華やかなことばかりではなく、不安なことや、失うもの、狭くて暗くてくるしい、水中のようでした。そのなかでも誤魔化すように花を買い、歌を歌い、夜中に散歩をしたりしました。あんなに目つきの悪い子供だったのに、他人からはよく「明るいね」と言われるようになったのもこの時期でした。

 

「息継ぎのような日々」と、わたしはその時の生活のことを思っていて、ブログを書いていました。その時のブログのタイトルが「水中で口笛」でした。

 

「水中で口笛」は働き出してからだんだん更新頻度が減っていきました。それでも、見つけてくれるかもしれない数人のためだけに日記を書く、という行為自体のことが、わたしはとても好きでした。

 

歌集を出したら、なんだかすっきりしました。そうしたら、水中だった日々のことはわたしだけのものにしておきたくなりました。正確に言うと、これ以上誰かに見つからないうちに、わたしと、そのときの読者の皆さんの記憶の中だけのものにしたい、と思いました。わたしと同じように、まさかわたしが作家になるとは思っていなかった、当時の読者たちだけのものにすることにしました。だってそのほうが、わくわくするからです。わたしはインターネットのそういう儚さを信用しています。(そう、突然インターネットから消えちゃったわたしの大好きなあのトラックメーカーのように。)

そんなわけでブログ「水中で口笛」は重版の決定と同時に閉鎖しました。もし、そちらを読んでくださっていた皆さんがいたら、お礼を言いたいです、いままで読んでいてくれてありがとうございました。地声で、自室で、くやしさもうれしさも受け止めてもらえる、本当に居心地の良い場所でした。これからは、エッセイや作品で皆さんとお会いしたいと思います。(HPのこのブログもあるしね)

 

 

水中で口笛を吹く日々の中で、わたしはたくさんのものと出会い、失い、さまさまな表情になりました。

その表情の時々や、季節のことがたくさん収められた歌集になったと思います。

ほんとうの明るさは、単にポジティブで前向きということではなくて、たくさんの表情を知っているということだと思います。

だから、わたしは明るくて、この歌集も明るい。

 

いま水中にいるかもしれない、十代、二十代のみなさんはもちろん、もしかしてかつて水中にいたかもしれない、わたしより年上のすべてのみなさんに、届けばいいなあと思います。

この歌集と、この歌集を出すまでのわたしに関わってくださったすべての方に感謝します。

 

 

 

やわらかに四月の雲を膨らますこの口笛はみずいろの糸

 

4月最後の日に。

玲音