<BLOG>2025年3月11日の日記
薬を飲んでいても花粉症がひどく、春だなあと思いながら一日中涙目でいた。今朝は寝不足で珍しく十時くらいまで寝ていた。起きてもずっと眠気があり、頭はぼやぼや、目はうるうるである。ひどいコンディションだが、毎年この日はそわそわとして気が気ではなくなってしまうので、からだがだるいほうがそれが緩和されるような気もする。そもそもこの日だからといってそわそわするような自分のことがいやになる。いやになって14年経った。きょうは3月11日だな、と起きてから何度も思う。「14時46分」。どこで黙祷しようか考えているうちに仕事をしていれば二時半になった。いつもビルの屋上や川や、黙祷をするための場所へ出向いていたのだが、仕事をしているうちに黙祷の時間を迎えて、その時間はきちんと家の中でも黙祷をするようなことのほうが今年はよいと思った。いつも北を向きそうになるが東だ。コンパスのアプリを一年に一度、この日にしか使わない。45分から46分に表示が変わった瞬間にデスクの前で目を閉じる。サイレンは鳴らないから、だいたい1分だと思ったところで目を開けたがまだ46分だった。立ったまましばらくiPhoneの時計を見ていたらようやく47分になったので、わたしは三十秒くらいしか目を瞑っていられなかったということになる。目を瞑っていると一秒が伸び縮みする。目を閉じても真っ暗ではなく、わたしの瞼の裏はうっすらと赤く透けている。
夕方になる前に阿部魚店へたらこを買いに行く。震災直後にそこでたらこを買ったら白飯をつけてくれたことを毎年思い出そうとしてそうしている。たらこと白米だけの夕飯にするのがよいと思い込んでいたところがあるが、いくらでもお金を落とせた方がいいのではないか、とも思い、だしまきとめかぶとカンパチのお刺身も買う。ららいわてに寄ると三陸フェアと大船渡の買って応援POPがあり、大船渡のお菓子をいくつかと、釜石の大好きなケーキ屋さんのプラリネロールを買う。買って応援する。行ってお金を落とす。そういうことが、ようやくできるようになったと思う。当時できていたらもっと。もっと、どうだったのだろう。寄付したり現地へ足繁く通ったりすることが難しかった高校二年生のわたしは、とにかく自分の日常を書くしかなかった。
夕飯を食べ終えると日曜美術館の坂本龍一特集を見る。東北ユースオーケストラは数年前見に行ったことがある。「あのときの坂本さんは被災地に何か『しなければならない』ではなくて『せずにはいられない』というかんじがした」と語られていて、わたしの『せずにはいられなかった』ことを考える。《IS YOUR TIME》自然によって調律”しなおされた”ピアノのインスタレーションに興味はあるものの、その目の前でその音を聞く勇気はまだないような気もする。ホセマリアシシリア展を福島県立美術館で見たときに、東日本大震災に対するあまりの悲劇と希望の演出に憤りに似たきもちがぶわっと込み上げて来たこと。戦争のように震災が描かれていたことを圧倒的な他者からの眼差しだとわたしは思ったのだけれど、しかしそれもまた内陸のことしか知らない人間の思うことだ、と、すぐに椅子に座り直すような惨めさ。そのときに床に這っていたおおきなゲジゲジを「これも作品ですか」と言うと監視員の女性は短く悲鳴を上げてからそのゲジゲジを捕まえて展示の外へ持って行ってしまった。あのとき、わたしはあのゲジゲジを本気で作品の一部だと思っていた。
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