BLOG 2026年3月11日の日記
昨晩はこれまでの3月11日の日記を読み返して過ごした。毎年この日は日記をHPに載せようと決めて今年で4年目になるが、毎年同じようなことを言って俯くだけでは読む人になんのプラスにもならないのではないかと書く気がなかなか起きない。でも、この日記はだれかのためじゃない。同じことを何度言ってもいいから、最新の自分で過去と同じことを考え続けるのだって意味のあることだろう。
去年初夏、とあるテレビ局から出演依頼があった。日記本を出している作家として日記の魅力について話してほしいとのこと。日記のたのしさを話せる喜びとメディアに出る疲れや負荷とを天秤にかけて悩みつつ承諾。
すると台本が一向に送られてこない。ついに遠方某所の収録現場へ明日には出発せねばというタイミングになって慌てて送られてきた台本には、わたしが毎年3月11日にHPに載せている震災の日記を朗読すること、被災地で日記を書いている人のVTRを見てコメントをすることが書かれていてぎょっとした。暮らしの中で日記を書こうとすることの豊かさのような話だったはずなのに、いつの間にか「書いて立ち直るための手段としての日記」について解説する内容になっていた。そういう話題もあるなんて、本当にこれっぽちも言われていなかったのに、どうしていきなり。3月11日の日記の朗読? 被災者の日記にコメント? 事前の確認も、全くなしで? つらいことがあっても書くことで立ち直ることができる。前を向くことができる。そういうことを、言ってほしかったのだろう。――ほかにも話にならない部分がたくさんあり、出演はあまりにも危険と判断して、本当に悔しいけれど結果的に収録へ行かないことにした。考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて「震災の話をするなら出演できない」という旨の返信を出来るだけ丁寧にする。返信には「不快にさせてすみませんでした」とあった。この悲しみと怒りに襲われてぐったりとすることを「不快になった」と呼ぶのだろうか。しばらく具合が悪かった。
「『氷柱の声』
送信ボタンを押すまではずっと眉間に皺を寄せていたのに、送ったら涙が出てきた。『氷柱の声』を書いたくせに、震災についてちょっと語るくらいできないのか。3月が近づくたびそう思う。何を言ってほしいかわかるのだから、その通り言ってあげればいいのかもしれないと思ったこともある。でも、無理だった。それができないから小説を書くしかなかったのに、書いたら「この作品にはどんな思いが込められているのか」を言わなきゃいけないなんて。読んでもらえたらそれが全部なのに、書いたせいでそれとは別のもっと短く太い言葉を求められる。どんなコメントを求められても笑顔で前向きに答えることが「わたしにできること」なのかもしれない。それを全うしないわたしは、とても卑怯なのではないか。偏屈で無責任。面倒で高飛車。断るたびに落ち込んで、けれど絶対に引き受けられない。
今年も1月以降、震災についてコメントをもらえないかという話がいくつもきて、すべて断った。「言いたいことは作品ですべてなので、コメントはできません」と断る。生意気でいやになるけれど、実際そうとしか言いようがない。どんな人と並んで、どんなストーリーのなかのどういう積み木としてわたしの言葉が使われるのかわからないのが怖い。どれも時間に余裕のない連絡で、慌ててそのときだけ頼られるのが怖い。みんな震災の話をしなければいけないと思っているけれど、自分の言葉を持っていない。だから誰かの言葉を借りながら同じような言葉を15年使い続けている。でも本当は全員に言えることがそれぞれある。言っていい立場じゃないと思っているだけで。
黙祷は家の中でした。サイレンが鳴らなそうだったのでTVをつけていたが、黙祷が終わるとすぐに消した。そのあといつもの魚屋でたらこを買って、ご飯を炊いて夕食にする。3月11日にたらこご飯を食べるのもすっかり定着した。明るくて暖かい部屋で炊きたてのご飯を頬張ることのできる幸せ。たらこご飯を食べ、日記を書く。わたしは同じような日記を書き続けている。この日記はだれかのためじゃない。同じことを何度言ってもいい。みんな自分のために同じことを何度言ってもいいから、言ったほうがよさそうなことよりも本当に聞いてほしいことを言えていたらいいなと思う。
